茅野雅子「女の詩」・・・・詩歌のジェンダー
2010-10-14


与謝野晶子・山川登美子とともに「明星の三才媛」と言われた増田雅子は、同じ『明星』の歌人であった茅野蕭々と恋愛、結婚して茅野雅子となったのち、『青鞜』第二巻第一号(明治四五年一月号)に「女のうた」と題する次のような詩を寄せた。


    一
君はなほ夏の鳥の如く
楽しげに浅はかに歌ひ給へば、
我が苦しみも涙も
蒼白き頬も知るに由なからむ。

況して我が背負へる十字架を、
『子』といふ重き黒き荷を、
降りつもる雪を、赤き我が素足を、
如何で知り給はむ。
恐らく永久に知り給はじ知らむともし給はじ、
君は男にて我は女なれば。

実に恋は男に快楽を歌とのみ与ふれど
我等には尽きざる苦みと、子と、涙と、
それより生るる新しき真の大なる生命をもたらしぬ。女こそ、ああ、恋を讃ぜめ。

     二
夕ぐれの心を如何に云ひ出でむ
この女のみ感じ得べき或ものを。

遠き地平に消えてゆく光の微動と
しめれる土より、沼より湧き出づる靄の匂を、
我等が細き皮膚ならで
何物かよくわかち得む。

また見えそむる星に、水の皺に、
我が長き黒髪に響き出づる
この妙なる歌を如何に云ひ出でむ。
あはれ夕ぐれのこころを。女の秘密を。

     三
言葉には云へざる故に黙すを、
なほ語れとせめ給ふや、

広く大なる世界より
我等が感ずるものは、
大方かく妙に細かければ
男も知る粗き言葉には云ひ難し。

あはれ君の女ならましかば。



 茅野雅子は、この詩で、<女の領土>ともいうべき場所を採り出している。それはまず、「苦しみ」「涙」「蒼白き頬」「『子』という黒き重き荷」に象徴されるような場所、男の永久に知らない、知ろうともしない、うち捨てられた場所だ。新しい天地を求めた恋の結末に、女はこのような苦い重い十字架を負わされるが、男はあさはかに夏の鳥のごとく歌い続けている。しかし、考えてもみよ、重い十字架を背負うものほどいっそう「新しき真の大なる生命」を生み出すことができるのだと、雅子は価値を逆転させ、男にうち捨てられた場所を<女の領土>化した。これまでのようにただ忍従するというのではなく、男より「大なる生命」を生み出す機会として、苦悩をすすんで引き受けようとする強い新しい女性像をうちだそうとした。
 この「女のうた」は、大正六年に刊行された『金沙集』に収められている。それを見ると、この詩の少し前に、



  あさはかの思ひなりけり男をばいな自らを頼みてしこと
  子の上と厨のことを思ふ外に命ひまなし浅くもあるかな



などを含む、「浅き心」六首が並ぶ。「男をばいな自らを頼」んで、ともに学び合う、新しい男女の生活が営めるものと結婚したが、それは「あさはか」なことであった、現実の女の生活は「子の上と厨のことを思ふ」ばかりで、命の浅い日々であると嘆く。「あさはか」な「浅い」存在は、歌では、女である自分の方なのだった。
 また、「浅き心」一連の次には、「見えぬ世界」と題する、次のような歌を含む六首が並ぶ。



  我等より見る天地の外をゆく星に等しと男をおもふ
  女には見えぬ世界に時ありて如何なれば君の行き給ふらむ
  夢にだに我れの見がたき国へゆく刹那の君の憎くもあるかな



 さらに、子の歌三首を含んで「女のみ感じ得べき或もの」の言語化を意図したかに思われる「五月」一三首を並べ、そして冒頭の詩「女のうた」が来るのである。


 これらは、明らかに同一主題による変奏といえよう。わたしたちは詩と歌と合わせて読むとき、雅子の採り出そうとした<女の領土>の輪郭をいっそう明確にたどることができる。



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